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いかに戦争を防ぐのかという崇高な理想の倫理観 ~ 『現代国際関係学―歴史・思想・理論』書評 ~

現代国際関係学―歴史・思想・理論 (有斐閣Sシリーズ)


(*)以下

2013/01/03に更新したレポートからすべて引用

 


講義「 国際関係論 」の中盤で出された課題が、この書評レポートでした。

 

書評では、戦死者数の定義について疑問を提起しています。

 

本書を読む前から抱いていた、             

自分なりの「戦死者数」という概念に対する違和感をまとめたような内容です。

 

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国際社会の歴史・思想・理論

国際関係学を学ぶ上で欠かせない国際社会の歴史、思想、理論などの基本的なことが網羅的に書かれている本書は、各章の冒頭に国際社会の歴史年表にあわせ、その時代ごとに生み出されてきた思想や理論が書かれている。国際関係学の誕生に大きな影響を与えてきた思想家とその思想の変遷からは、現在の国際関係学の理論の根幹がどのような歴史的背景のもとに構成されてきたのかがよくわかるようになっている。また、国際関係学の大きな思想の源流ともいえる、リアリズムとリベラリズム。その2大潮流の変遷と、そこから派生して生まれた思想や影響を受けた思想の流れもわかりやすく書かれている。

 

線引きの基準としての死者数

非常にわかりやすく国際関係学の基本事項が押さえられている本書だが、1つ気になるのは、17章の 表Ⅶ2 冷戦後の紛争データ(1989-99)である。表の内容自体には直接関係のない話になるが、注(2)で「『戦争』とは年間1000人以上の戦闘関連死者を出した『大規模武力紛争』をいう。年間25人以上、累積1000人以上の戦闘関連死者を出したものを『中規模武力紛争』、年間25人以下、累積1000人以下の戦闘関連死者を出したものを「小規模武力紛争」と各定義する。」(P.256)とある。戦争や紛争の規模を死者数で定義すること自体は今さら珍しいことではないかもしれない。しかし、本書の様々な箇所でも書かれているが、国際社会の歴史とは、先進国側が自分たちの論理を一方的に途上国側に押し付けてきた側面が多々あった歴史でもある。この注を読んだときに改めて思い浮かんだのは、死者数で紛争を定義するということには、先進国側の途上国側に対する一方的な見方とどことなく近いニュアンスが感じられるということである。学問研究における資料として、戦争や紛争をその規模などでどこかで線引きしなければならないのはわかる。たしかにその線引きの基準として一番明確なのは死者数かもしれない。戦争や紛争の規模を計る上で死者数のデータは、マスメディアなどでも戦争のインパクトを一番わかりやすく伝えるデータとして一般的に使われている。それでも、死者数という基準でしか戦争や紛争の規模を説明できないというのは、やはり無機質な印象を強く受ける。それは時に、人の命を数字で計ることで戦争や紛争の持つ本質的な重みを見過ごしてしまっている様な印象を与える。

 

いかに戦争を防ぐのかという崇高な理想

では、死者数に代わる線引きの定義は見当たるのかというと、中々見当たらない。しかし、戦争を人の数で計る以外の基準はないのかどうか考えていくのも国際関係学の役割ではないだろうか。少々極端にいえば、これは先進国と途上国の力量関係を扱う国際関係学という学問分野の倫理観に関係してくる事柄だと思うのだ。国際社会の歴史における先進国の途上国に対する様々な搾取などは、地球温暖化問題を巡る京都メカニズムなどで「公共財市場メカニズムを導入し(空気までもカネで売買する)先進国中心の国家エゴイズムに依拠する限り、地球環境保全は幻想に終わらざるをえないのかもしれない。」(P.359)というように、現在でも形は変わりながらも傲慢な姿勢として未だに残っているのである。この先進国のご都合主義を途上国の視点も考慮しながら改めていくことは、これからの国際関係学の大きなテーマの1つと言えるだろう。つまり、先進国の途上国に対する姿勢を注視し、時に発想の転換を促すような役割が国際関係学には求められていくと思われる。その際に国際関係学は、この学問が生まれるときに描いた、いかに戦争を防ぐのかという崇高な理想の倫理観を持ち続けていなくてはならないだろう。死者数で戦争や紛争を定義する資料や記述は世の中にあふれており、この本書に限った話ではないが、先進国側の途上国側に対する傲慢な姿勢が現在もなお続いていることを指摘する記述がみられる本書だからこそ、戦争や紛争を死者数で定義しようとする方法に代わる方法を見出すべきではないかということを考えさせられる。

 

参考文献

現代国際関係学―歴史・思想・理論 (有斐閣Sシリーズ) 進藤榮一 2001年 有斐閣

現代国際関係学―歴史・思想・理論 (有斐閣Sシリーズ)

現代国際関係学―歴史・思想・理論 (有斐閣Sシリーズ)

 

 

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未来に起こりうる国際関係の変化に対応 ~ 『国際関係論 同時代史への羅針盤』書評 ~

国際関係論―同時代史への羅針盤 (中公新書)


(*)以下

2013/01/03に更新したレポートからすべて引用

 

 講義「 国際関係論 」の序盤で出された課題が、この書評レポートでした。

本格的に国際関係論を学ぶ前に、この本を読んで書評を書く。
それによって、
国際社会の展望を描くこの学問の意義を感じ取ることができたように思います。
 

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国際関係論とは何たるものであるのか

「国際関係論」と銘打ったこの新書はそのタイトル通り、国際関係論とは何たるものであるのかという概論から始まり、代表的な思想家とその理論、地域研究と国際関係論の関連性、冷戦がもたらした国際関係の流れやその後の社会主義や民族紛争の経過などを交え、国際関係論の可能性と限界を述べている本書が刊行されたのが1992年ということもあり、内容は冷戦、社会主義国家、民族紛争などに主眼が置かれ、著者が終章で「1990年代末には、20世紀最後のもうひとたびの大きな変動が生じ、あるいは社会主義国家がいよいよ最後的に消滅する方向へと進むことになるかもしれない。」(中嶋 1992 P218)と述べているのが印象的である。しかし、本書の刊行から14年経った現在の国際関係は、数少なくなった社会主義国家も曲がりなりにも健在で、北朝鮮に関しては核実験を実施し、体制の存続を粘り強く模索している状況である。また、9.11を契機に冷戦後の社会主義国の動向や民族紛争へのアプローチに加え、国家という枠組みを持たない国際的なテロ組織との闘いという新たな命題がクローズアップされ、21世紀に入りさらに混迷の様相を深めている。

 

的確ともいえる鋭い予見

本書では「テロ」という言葉はほとんど出てこない。しかし、著者が9.11を契機とする国際的なテロ拡散の現状を全く予見できていなかったとは言えない。むしろ的確ともいえる鋭い予見をしている。いくつか例を挙げると、まず「これからの世界は社会主義体制の解体によって、イデオロギー優位の時代は終焉するとともに、文化や宗教に基づく地域紛争がまだまだ解決困難な課題として残るだろう。それはある意味では、核戦争の脅威よりももっと厄介で解決の難しい紛争だといえよう。」(中嶋 1992 P20)という指摘は、イスラム社会との亀裂が生まれている現在の世界情勢の混迷ぶりを端的に示しているようである。また、「国際関係における文化的接触の断面は今後ますます重要視されなければならない。それはまさに“文化が戦争を起す”といった状況が、皮肉にも、21世紀に向けてまったく未解決のまま残されているからだといえよう。」(中嶋 1992  P20)というように、キリスト対イスラムという構図で語られることもある9.11からアフガニスタン侵攻、イラク戦争に至るまでの歴史を経た今日からみると、非常に鋭い指摘をしていたといえる。

 

国際関係の倫理的基盤

時代とともに絶えず変動する国際情勢の中でその都度、様々なルールを模索していく国際関係論における倫理とは何かということを述べている終章で、著者は国際関係における道義の限界を踏まえつつ、「国際関係のシステムやネットワークの実際的な形成のなかに国際関係の倫理的基盤を求めるのが、国際関係論の立場といってよい。」(中嶋 1992 P209)と指摘している。この指摘は、アメリカ一極主義が顕著となった9.11以後、世界が地道に国際関係のあり方を模索し始めている今日には、より一層重い響きを持つように思える。また、歴史の大きな時間軸を見つめた、「10年という時間間隔は、新しい国際環境が形成され、やがてそこに問題が生じて変化ないしは破局を迎えるまでに要する“時間的成熟”の期間として必要十分なのではないだろうか。」(中嶋 1992  P218)という指摘は、混迷するイラク情勢、相変わらず展望の見えない中東問題などの前で立ち往生しているかのような今日の世界に、長いスパンで少しずつでも国際問題に対処していく重要性を改めて諭すかのようである。こうして読んでみると、歴史から得られる事実を考察していく過程が、未来に起こりうる国際関係の変化に対応する上で重要だということを改めて論理的な理解として伝えているのが本書なのだと思われる。

 

参考文献

国際関係論―同時代史への羅針盤 (中公新書) 中嶋嶺雄 1992年 中央公論社 

国際関係論―同時代史への羅針盤 (中公新書)

国際関係論―同時代史への羅針盤 (中公新書)

 

 

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