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「名文」とは何か ~ 高橋源一郎『13日間で「名文」を書けるようになる方法 』 ~

 

私が紹介したいのは、ブログ「情報考学 Passion For The Future」の書評記事をきっかけに読んだ、高橋源一郎の『13日間で「名文」を書けるようになる方法 』だ。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/13-1.html

 

明治学院大学国際学部で、全13回に渡って行われた木曜4限「言語表現法」講義の様子をまとめた内容。講義をそのまま本にしたものは世に数多あるだろうが、この本には「いい講義を受けたな」という感覚になるほどの臨場感と読後感がある。その理由は、結論ありきでない講義スタイルにある。講師然とした話し振り(書き振り)をしない著者は、講義の最後にいつも課題を出す。課題は、「ラブレター」もあれば「もし、一日しか記憶がもたないとしたら、という仮定の下で、一日分の日記を書いてくること」など、オーソドックスなものからユニークなものまで実に幅広い。

 

講義は学生から提出された文章を中心に進んでいく。
学生の文章は一切添削しない。文章を書いた学生本人が文章を朗読し、著者は他の学生にその感想を聞き、様々なタイプの名文も交えて話を膨らましていく。また、講義の冒頭で語られる著者の何気ない身の上話が、その先にある思考の過程も含めてどれも秀逸。

 

著者の話し振り(書き振り)がとても心地いいので、すらすらとページが進む。
押しつけがましくない。だからといって、抽象的なわけでもない。学生との双方向な話し振りを通じて、文章を読む・物事を深く考える・文章を書くことの本質をそっと浮かび上がらせてくれる。

 

たとえば以下のように。
 「 あなたたちは、この授業が、『文章』を、というか『名文』を書くことができるようになるための授業なのに、『文章』について触れることが少ないと思っているかもしれません。逆説的かもしれませんが、『文章』を書けるようになるためには、できるだけ、他の『文章』に触れない方がいいのです。というのも、わたしたちの周りにある『文章』は、たいてい、社会的な『サングラス』をかけて書かれているからです。『文章』を書けば書くほど、人びとは、考えなくなります。というか、『見る』ことをしなくなるのです。まず『部外者』として『見る』ことです。教科書は遠ざけてください。不安にかられて、線を引いてしまうかもしれないから、筆記用具も不要です。それから、『考える』ことです。その時、あなたたちは、なにかを『考える』ためには、ことばが、『文章』が必要であることに気づくはずです。それが、すべてのスタートなのです。 」

 

著者の話し振りに負けず劣らず素晴らしいのが、取り上げられる学生たちの文章だ。
クスっと笑える憲法(ベッドの下連邦共和国憲法・真夜中の王国憲法)、ほっこりとさせられるラブレター、グッとくる演説・・・「なんでこんなに上手いんだろう」とちょっと嫉妬しちゃうほどの文章。添削されていないとはいえ(添削されていないからこそ)、その人となりがいい意味で滲み出ているような内容ばかり。「誰かに伝えたい」という熱があれば、誤字脱字や形式的な細かい部分は全く気にならないということを感じさせられる。

 

著者の話し振り、紹介される様々な名文、講義に参加する学生たちの瑞々しい文章や率直な反応・・・この講義自体が、大学という空間における教育の理想的なあり方を投げかけているようですらある。水野晴朗ではないが、「文章を書くっていいですね」ということを再認識させられた。

 

この本は「私に影響を与えた1冊」というよりも、「私に影響を与えていく1冊」という気がする。これから私が何かを書いたり・考えたり・話したりしていく中で、自分の書き方や考え方などに自信がもてなくなる時が多々あるだろう。また、「わかりやすい文章とは何か?」「魅力的な表現とは何か?」「考えるとはどういうことか?」・・・そうした根本的な問いにぶつかることもあると思う。そんな時に改めて読んでみたい、そう思わせてくれる深みのある内容がこの本にはつまっている。

 

13日間で「名文」を書けるようになる方法

13日間で「名文」を書けるようになる方法

 

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